今日は先日書いた動画コンテストのお話に行く前にインドネシア人の彼が日本に来るまでの半生を書きたいと思います😊
日本に来ている外国人の方々は都会に限らず今や地方にもたくさんいますよね。
そして日本にいる外国人の方々に
「なぜ日本に来たか」
聞いてみると一人ひとり違った面白いストーリーを持っており、その人を応援したくなったり尊敬することも見えてきます。
そして、「自分自身も頑張らねば!」と勇気をもらえます✨
今回はその中の一例として、インドネシア人の旦那が日本に来るまでの半生を書きたいと思います😊
最後に彼の半生のお話しから「伝えたいこと」をまとめさせて頂きます✨
1、「平仮名」との出会い
まず彼の最初の「日本🇯🇵」との出会いは
高校2年生の時に始まった選択授業での日本語の授業でした。
選択授業で日本語があるのは日本人としてなんだか嬉しいですよね。
日本語に出会うまでの彼の成績はと言うと...
ビリから2番目!!笑
やんちゃな事ばかりしてる高校生でした...
(小学生の頃は自分が縄跳び苦手だからと大縄の紐を切ってみんなを泣かせたり川遊びしてる女の子のパンツを木の上に投げて隠したり...😧)
そんな彼が英語、フランス語、スペイン語、アラビア語、日本語...いくつかある中で何となく日本語を選択。
そこで意外な
「平仮名」
に出会い彼の人生が大きく変わります。
平仮名をみてビビッときた彼は「何だこれ、かっこいい!」と思ったそうです👦🏽
大体のインドネシア人は日本のアニメや映画などに興味を持ち日本を好きになる人が多いと思いますが、彼の場合はなぜか「平仮名」だったのです。
日本人からしたら、アルファベットの方がかっこよく見えるのと一緒の感覚なのか...?笑
もともと好きなことだけには集中力が半端ない性格の彼👦🏽
まずは、平仮名を一日で全て覚えました。
そのあと「漢字」がある事を知ります。
漢字は学校の授業内で習う程度の簡単な
上、下、右、左などの教科書内の漢字を全て覚え、
その時は「私、漢字全部覚えたんだ」と思っていたそうです。
しかし漢字には難易度の高いものまで果てしない数がある事を知ります。
とりあえず、日本語の教科書を買い一冊ずつ全部覚えていきました。
そこからビリから2番目だった成績がなんと学年でトップに...!
放課後の補習にも赤点取ってないのに毎日出て勉強したそうです。
出ないと気が済まなかったそう...。
学校でも日本語と言ったら「ドディ!」となっていきます。
ちなみに、彼が生で初めて見た日本人は日本語を教えに来たおばさんの先生でした。
初めて見た日本人のおばさんをみて
「めっちゃかわいい!!😍」と思ったそうですw
彼の勉強意欲は日本人のおばさんで更に掻き立てられていきますw
2、学校の授業以外で「日本語🇯🇵」に関わる努力
そして高校卒業後、大学は日本語学科のある大学へ進学。
大学が終わってからは彼が尊敬してやまない「日本語の大先生」がやっている「マタケン学校」と言う無料で日本語が学べる学校で日本語を勉強し、
さらにその「大先生」にはそこで合気道や日本の歴史や文化も学ばせてもらったそうです✨
彼に本もたくさんくれ📖可愛がってくれたとか✨
その頃はとにかく、少しでも日本人や日本語に関われるよう、日々努力していたそうです。
3、初めての挫折
大学2年の時に全バリ州「日本語弁論大会」があり参加します。
結果は、、、
2位 「悔しくて泣いた。絶対一位だと思ってた」と初めての大きな挫折を経験。
そして2回目、、、
2位
1位取るまで絶対諦めない!悔しくてまた参加...!
そして3回目、、、
やっと1位🥇✨✨
その後、バリ州代表で全インドネシアスピーチコンテストにも出て4位を納めました✨
彼の実家にあった何度も挑戦した努力の証のトロフィーたち🏆
4、失恋💔からの大逆転
彼の日本語に対しての意欲にさらに火をつけたのはマタケン学校で出会って彼が恋した「日本人の女の子」でした。
その子を追いかけて「いつか日本に行く」と言ったら「あんたには絶対無理だよ」と言われて信じてくれなかったそうです。
その女の子を「絶対に見返してやる!」と誓った彼は初めて日本語に対して目標を掲げます。
彼の目標は大学在学中に
「N1(日本語能力試験1級)を取得してから日本へ行くこと🇯🇵」
時には泣きながらお経のように漢字をひたすら書き猛勉強し🖋周りの先生達の助けもありながらついに大学3年でN1を取得します。💮一発合格でした💯
お経ですw
彼が行ってた大学で「在学中」にN1を取得した生徒は未だに彼だけだと先生が褒めていました😊
その後は、マタケン学校の先生の推薦もあり、バリの総領事の通訳のバイトや技能実習生の送り出し機関に関わるバイトをして日本へ行くお金を貯めていきました。
大好きな子に振られ、その当時はたくさん泣いてとてつもなく傷ついたけどその失恋のおかげで彼は猛スピードで成長していったのです✨
彼に「その日本人の女の子を見返せた?」
と聞いたら「見返した!大満足!👦🏽」と言っていました笑
5、ついに日本へ🇯🇵✈️
そして京都の同自社大学へ交換留学生として7ヶ月在籍後一度帰国✈️
そして半年後の2017年に新潟の大学院へ入学することになるのですが、実はこの時日本へ行くことを両親に反対されていました。
大学院自体は奨学金が出るのでお金は掛からないのですが入学金として5万と両親のサインが必要でした。
両親は反対しているのでもちろんサインもしてくれず入学金も払ってくれません。
しかしその話を聞いて、彼の日本語の大先生が入学金を代わりに払ってくれてさらにスーツも2着プレゼントしてくれ、両親を説得してくれたのです✨
その大先生とは彼を可愛がってくれてたマタケン学校のあの大先生です。
彼の恩人でもあり、今でも仲が良く、将来のビジネスに向けよく先生と電話してます😊
大先生のおかげもあり、日本に来れた彼は2年間大学院で経営学を学びMBAを取得。
東京に内定をもらっていましたが、その直前に私と出会ったので内定を蹴り新潟に残ることに決めたのです。
よく、彼の受けたパワハラ事件の事を人に話すと
「旦那さん、いつきと出会ってて良かったね〜!1人だったらもっと大変だったと思うよ💦」
とよく言われますが、そもそも私と出会ってなかったら東京の立派な大企業に入ってボーナスもらって幸せに暮らしていたかもしれないのです😅
当時は私と出会ってなかったらあの訳わからない会社に入って辛い思いしなかっただろうな〜と申し訳ない気持ちでいっぱいでした💦
6、伝えたいこと
この彼の半生から私が気付いたことと伝えたいことが2つあります。
①日本にいる外国人は一人一人の想いやストーリーがありそれを経て今、日本に住んでいる。
様々な理由と想いを抱きながら大好きな家族や友人がいる母国を離れ、日本に来てくれている外国人の方々。
彼らは自国で暮らす私たちの数倍は努力をして、たくさんの試練を乗り越え今、日本にいると思うのです。
もちろん、海外にいる日本人の方も同様です。
私はその方々を心から尊敬してます☺️
しかし残念な事に、その彼らの想いやストーリーを踏みにじる発言や行動をしてしまう日本人が存在するのが日本の現実です。。。
彼が経験したように、
日本に憧れたくさんの努力をし、やっとの思いで日本に来たとしても待ち受けていたのは
「日本人からのパワハラ」というパターンもあるのです。
一人一人がおもいやりの自覚を持たなければ「日本は嫌いだ、母国に帰りたい」と思う外国人を年々増やしてしまい、日本人のイメージもどんどん悪くなる事でしょう💦
私たち日本人が彼らの日本に来るまでのストーリーや努力、想いや夢を尊重しこの事を頭の片隅に置いて過ごすだけでも外国人の方々にその気持ちは伝わり、より気持ちよく暮らしてもらえると思います😊✨
②「才能」「天才」などは存在しない
日本語や漢字を覚えN1を取得出来た彼は「天才」ではありません。
学年でビリから2番目だった彼が、天才だったとしたら泣きながら日本語を覚える必要はなかったはずです。
途中で気づいた方もいらっしゃると思いますが、彼がここまで来れた理由は
「目標を成し遂げる為に最後まで諦めず地道に努力した」
ただ、それだけなのです
何度も日本語弁論大会で1位になれない悔しさと失恋というつらい経験をしましたが、
それを逆手にとり途中であきらめず、自分を鍛えたのです。
現在のレベルがどうであれ、粘り強く努力し続けられる精神と、学習出来る環境がある限り、世界中のほとんどだれでもが能力を伸ばすことが出来る✨
私が彼を通して気づかされたことでした😊
過去に読んだ本で好きな言葉があるので最後に紹介します😊
「自分の憧れの人物を思い浮かべてみよう。
その人はほとんど努力せずに何でもできてしまう、驚異的な能力の持ち主だと思ってないだろうか。その業績の陰にとてつもない努力があったことを知ろう。
そしてその人をいっそう素晴らしいと感じよう。」
次回は、
失業というピンチに追い込まれた彼が
「カメラ」という新しい世界を独学で学び、そして動画コンテストに向け挑戦していく姿を書いていきます😊✨